煎餅の記録

Hey!Say!JUMP多め

カラフト伯父さんのメモ①(追記多数)

メモです。(自分用だけど公開仕様)
感想書くためのあらすじのまとめみたいな感じです。セリフなどは大体こんな感じだったな〜と。解釈もメモ程度に入れていますが感想は別に書いてます。

まず最初に。
新鮮に作品を楽しんでみたいなという気持ちがあり、前回上演されたものは調べないようにしていたわたくし。しかし、阪神大震災が背景のお話だということが分かっていたから、自分の中で登場人物をどこか特別視して構えていたなぁ、とまず思った。
パンフレットで升さんもそのようなことを仰っているが、徹くんも悟郎さんも、特別な役と言うより普通に生きてる人のにおいがしたのだ。細部に表れるリアリティがあった。仁美さんに関してはお仕事は少し特殊だけど(こういう職業はそこに至る経緯も特殊なケースが多いし、だからこそ強くたくましい女性なのだろうけど)。因みに、悟郎はクズ属性も高いと思います…笑。伊野尾くんが「どんどん悟郎に怒りが沸いてきた」的なことを言っていたのが納得なほど笑。…仁美さんも結構なクズなんだけど底抜けに明るくて憎めないんだよね。

「記録のための演劇」みたいなことを脚本、演出の鄭さんが仰っていたが、フィクションではあるけど震災を経験した青年のドキュメンタリーみたいなものなんだろうな。



年表で整理。劇中の徹や悟郎の会話から

徹 生まれたくらい 最初からいがみ合ってる両親。母親(千鶴子)、出産のために神戸に帰省。そのまま東京に戻らず。東京と神戸を行ったり来たりして(恐らく悟郎が)、3年して離婚。鉄工所のオヤジさんとデキてたとは悟郎談
徹幼少期 幼稚園の入園式も卒園式も出る悟郎。しかしある日から徹が悟郎のことをカラフト伯父さんと呼ぶように
小学生(低学年?) 母親が亡くなる 「ほんたうのさひわひ」の話を悟郎が徹にする。千鶴子は亡くなったのではなく、本当の幸いを探しに行ったと伝える。徹が本当の幸いを見つけるまでおじさんは徹のことを照らしてあげる、守ってあげるとも伝える
18歳(親父が死ぬ2年前、1995年) 震災に遭う たまたま鉄工所にいた(どうやら別の家に住んでいた模様)。悟郎は電話と少しではあるがお金を送る。「渋谷で募金もした!」会いにはこなかった
その間の2年ほど 祖母、祖父、亡くなる 仮設住宅でばーちゃんが死んで、復興宅でじーちゃんが死んで、二重ローンで朝の6時から夜の12時まで働いた親父が死んで」
20歳 親父さん(2回目のお父さん)が亡くなる 悟郎、すぐに会いに行った。もう大人だからこれから先のことは自分で決めなさいと伝える。徹はこの段階で、悟郎の世話にはなりたくないから鉄工所を継ぐことを決める

2005年1月現在、徹くんは28歳と思われる

第1幕

徹/茶ニット帽、チャコールグレーブルゾン(裏がボア、首元にファー付)、ツナギ白系上下、紺ヨレヨレめTシャツ、首元にタオル、黒靴

・徹の愛車はHI JET(ダイハツ製)
ナンバープレートが
神戸117
か10-23
神戸の震災の日、は分かる。下段をか(らふと)おじさんと読むのは無理矢理かなぁと思うけどおたくとしては読みたいよね笑。
・星山製作所という、二度目の父親の遺した鉄工所に住んでる。つまりフルネームは星山徹くん?
・部屋には黒の皮ソファ、左端にサイドテーブル。
・ソファの斜め前上手側にNational製のストーブ。点かないけど。徹のお茶目な一面が覗くストーブ芸「おねがい、たのむ」(さわさわ)→抱きつく。抱きつくの流れは途中から加わってデフォルトに
・上手側に小さめの冷蔵庫(中にケチャップ、マヨネーズ、病院の薬の袋有)、シンク(フライ返し、麺すくい、まな板、包丁←仁美が使う、油と洗剤用?と思しきプラスチック容器2つ、流しの下にはクリームクレンザー、ブリーチ、料理酒がある
・その隣にカラーボックスみたいな台があって、洗い済みの食器がふきんの上にきれいに置かれている。下の段にお菓子をしまっていた。その手前にゴミ箱がある。徹が仁美のタバコやバナナの皮を捨てたのはここ(たまに失敗するのもかわいい)
・冷蔵庫のフタ上部につまり&水漏れ、下部にもつまり&水漏れと何かのマグネットカードが貼ってある
・冷蔵庫の側面にピザの広告(※5/10公演で剥がされていた)
・その隣にスチール机。意外と整理されている。クリップ、ゴムバンド(輪ゴム)、小さな金庫的なボックス、ペン立て、鉄製のレターボックスあり。レターボックスからは領収書かメモか、みたいなものが少し飛び出してる
・机の前にボードが設置されていて、ゴミ出し、不用品回収、近所の回覧板、カレンダーが貼ってある
・カレンダーは2005年1月(ちなみに不自然に切り貼りされているんです 笑)。やたら汚れているのはどういう演出なのだろう?
→しかしよく見たら右上欄の2月の小さいカレンダーにシルバーウィークがあり、30日ある。何と2015年8月のカレンダーを改造して作っているっぽい。するとシルバーウィークの日程もぴったり!笑 だから汚したのかな
→仁美が徹に「給料日はいつ?大体25日よね」と訪ね、あと6日で金を借りて出て行くと言う。つまり劇中は1/19ということになるのだが、翌日と思われる第二幕で仁美と徹の会話で、翌日は日曜だということが判明。(仁美「仕事休み?」徹「日曜」というやり取りがある)。これだと2005年1月のカレンダーと合わない。カレンダー翌月の2月だとすると合うから捲り忘れなのか、それとも。開演前に流れている「春よ、こい」や劇中に仁美が歌う「赤いスイートピー」の季節感、そして第6幕でちらつく雪がなごり雪だとすると2月の解釈でもいいのかも?
→カレンダーの住所は「ワールドコンピューター印刷株式会社/須磨区大黒町18-38-4大黒ビル1F」になっているが、回覧板では「灘区大黒町の皆様」になっていた…どっちなんだろう?
そしてこの会社の電話番号は3898-5678と、3890-5432なのだが、神戸の電話番号は本来は市外局番から3桁3桁4桁である。
回覧板の方は日時が「◯月◯日」になっていた。こんな細かいところまで普通は見ないよねごめんなさいという気持ちに…笑。
・最上手に階段あり。そのまま登っていけば鉄工所の窓部分を通り、バルコニー的な場所に出られる。そこで洗濯物を干す。洗濯は2日に一度(パンツとシャツの数から)程度、きちんと端を揃えて干す。
・階段を上る手前の部分にのれんアリ、その奥が住居スペース。仁美によると、部屋が2つに、お風呂もある

・下手側は作業場。一段高い平台があり、そこで作業をする。溶接の機械などが置いてある。あと、玄関?というか家の入り口も下手
・台の後ろに柱、足元に鉄製バケツがある(悟郎がこれにつまづいた音で、悟郎がやってきたことに徹が気づく)
・奥に二槽式の洗濯機が(SANYO製)
・作業用の運搬カゴの中にバナナを保管している。食べる時にリモコンでウィーンと降ろすようだ。ここも徹のお茶目ポイント
・柱にリモコン置き場、そしてラジオがぶら下げてある。このラジオは重要度高い。冒頭の、徹帰宅時に誰もいない家でラジオが鳴っているのが徹の孤独の表現になってると思うから。ラジオ止めてふと、しんとした部屋を眺める徹の、言い知れぬ寂しさのようなものの表現はぐっとくる

・車は最初に舞台奥から入ってる。閉められていた扉をガラガラと開けて。あまり深く突っ込まなくていいかもだけど、車を入れる入り口と別に玄関があるのだと気づく。因みに舞台の奥、両サイドには徹が暴れる時に大活躍する一斗缶やパイプ椅子などが置かれている
・床は油まみれ。タバコ吸おうとした仁美に、「鉄板焼きになりたいんか!」と徹く。悟郎も土下座しようとするけどその場でできなくてソファ(当初)やサイドテーブル(最近)で金の無心のための土下座をする
・大量のお菓子とアイスとカップ麺と共に帰宅。しかし料理酒もあるし調味料も調理器具もある。4幕で仁美がお味噌汁を作ってるから、この家では料理くらいはできるらしい
→床が油まみれって言ってたから火気厳禁と思われるけど、奥のスペースでできるのか。フォロワーさんたちが料理する時はIHコンロではないかなんてお話してたけどそれもあるかも。もしくは、セットの都合上作りきれないだけで、シンク部分は実はきちんと台所で、火も使えるのかな?なんて考えるのはちょっと楽しい
・買い物はブルボンプレゼンツ笑のシルベーヌ、プチ数個(赤青緑ピンクなどがあったが途中から紫が増えたり。その中からその都度二つくらい選んでサイドテーブルに置く)、濃厚醤油と書いてるカップ麺(ラベルが変えてある)、ペットボトル飲料(これも、元は天然水のラベルの上にスタッフが貼り直してローマ字が書いてある。ちなみに中身は最初はコーラ的なものだったが、吹きこぼれがあった回の後にお茶に変わってた)、カップアイス(こちらもラベル変)、そして徹が食べるのがブルボンのチョコブラウニーバー。5/6 2部にハウスプレゼンツのとんがりコーンが投入される。ちなみに、カップ麺はパタパタと袋を叩き、几帳面にかやくをバラけさせて作る徹。

・記念すべき初セリフは「うっさいわ!」バニラアイスのカップをふんだくりながら、でした
・「金ならあらへん」「金の無心に来たんやろあんた!」久しぶりに会う父親にいきなりこの突っ掛かり方、相当の恨みが募っていると見える
・そして実際のところ、本当に金の無心だった悟郎にあからさまに嫌悪感を見せる徹。いきなり、金を貸せと厚かましい仁美(個人的にはあまりにも厚かましいから結構驚いた)
・「3年ぶりか」と言う悟郎。→しかし、徹によると父親が死んだとき(8年前)以来会っていない。最初は、8歳くらいで死んだであろう母親の17回忌か?とも思ったけどそれなら徹も忘れないだろうし悟郎の勘違いの可能性も高い。そうだとするとあんまりだなと。パンフにも父親が死んで以来会ってないと書かれているし…
・シーン的にはかなりコミカル要素が高い場面。「カラフト伯父さんだよ!」って悟郎が登場する段階でかなりコミカル。しかし28歳になった息子に、いくらシカトされてるとは言えカラフト伯父さんだよ!は無いだろう…ずっと一緒にいなかったから悟郎の中では徹は幼い日のイメージが強いのかもしれない

第2幕

徹/頭白タオル、灰色パーカー(左腕袖口に黒と黄色のロゴあり)、黒系ダウンベスト、紺T(1幕で着ていたもの)、adidasの黒シャカパン(サイドに白の3本線。そして左腰下のadidasのロゴのdの文字とロゴの羽根部分が黒く塗られてるのはロゴを出さないためにワザと?それとも元々?)、青紫の靴下、黒サンダル

・徹はリアクションを楽しむタイプ?電話でお喋りうるさい仁美(お腹の子の父親とキャピキャピ話してる様子)にカメハメハみたいなリアクション。このリアクションは徹の年齢だとリアルだなぁ。ドラゴンボール世代
・バナナは好物?作業用のカゴの中に入れている。仁美にバナナあげるときにもわざわざカメハメハポーズをしてみせたり、お茶目
・2日に一度ほどお洗濯しているし、きちんと端を揃えて干す。崩されるとあからさまにイラッ
・仁美のストリッパー時代の話に興味津々な徹(最初は興味なさげだけど、面白おかしく続ける仁美に引き込まれていく)。因みに、色気で迫られたら少し怯えるところに童貞臭を感じる
・ユニークで底抜けに明るい仁美にはわずかに心を開く箇所も見せるシーン。
→階段を降りられなくて仁美「恐れ入ります、お手を拝借」、徹が手を貸してあげたら手を繋いだまま、徹が嫌がっても「お散歩お散歩うれしいなー♪」や「パパパパーン♪(結婚マーチ)」などふざける仁美。8年は一人ぼっちで暮らしてきた徹にとって、厚かましくても最初から近い仁美の距離の取り方は心絆される部分があったのだろうか。徹の本来の性質は人懐っこいのかも?そもそも仁美は金借りる為だけにやってきた図々しい女なのに。それとも悟郎に騙された被害者同士という意識があるのだろうか
→そして、本来は笑い上戸でもあるのか、仁美の挙動言動に思わず笑ってしまう→わろうてへん!と逆ギレするところはキュート

・ぐるっと周囲を歩いてきたという悟郎、街がすっかり変わってしまったと。そのことを徹に尋ねたら逃げられてしまう。仁美「嫌われてるわね」悟郎「地震の話をしたくないんだろう」←この反応は、震災を経験した人としていない人の差でもあるなと感じた点の一つ。言葉選びが悪いが、当事者では無い人ならではのある種の無神経さのようなものがある。
・悟郎の回想。徹幼少期の思い出。何故「カラフト伯父さん」?←悟郎の出版社で唯一売れた、宮沢賢治の足跡を辿る旅行記で賢治がカラフトに行った話から来ているのでは、と予想する悟郎。理由までは分からない(個人的な見解は後ほど)。ちなみにここで仁美はお腹の子の父親から来たと思われる電話を気にして携帯をチラチラ見ている。このカップル大丈夫かよ!
・仁美「この町は死んだ街みたい」
→元々は人の気配の多い田舎町。
4幕の徹のセリフで「地震で街も人も全部変わってしもうた」「じいさんばーさん、ローン組んだりできへん」「土地売るしかあらへん」「木造の文化住宅に住んどった人らはマンションの家賃はたこうて払われへん」「みんなこの町に戻ってきとうても来られへんのや」この舞台を、脚本の鄭さんが記録のための演劇的な表現をしていることを再度思い出す。正に震災から10年後の現実がここにある。ぽつんと残された鉄工所が徹の姿と重なっているんだなぁと分かるのは6幕

第3幕

・2幕と服は同じ。頭はニット帽になる。その日の夜ということのようだ
・悟郎、転職雑誌を抱えている。晩酌したいが飲み物がなく、料理酒を飲む
もしかしてアル中…?5幕で徹に金を借りてもそれで飲んで来ちゃうし、6幕の出発の時も飲んでるんだもん
→転職雑誌、よく見たら関西版である。6日経ったら出て行くなどと言っていたが、悟郎は関西に住み着く予定だったのだろうか?関東にいると借金取りに追われるのでそれから逃げるためなのか、それとも?
・徹はトラックの中で毛布にくるまって寝ている。悟郎が深夜ラジオから流れる「What a feeling」に合わせて踊り狂う様子で目がさめる徹。ナイスコミカルシーン。因みに、表が赤、裏が白のバラ柄の毛布。これは起きてからも寒いのかくるまっている(妖精のようです)
・悟郎&仁美がやってきたからトラックで寝ているわけではなく、毎晩そこで寝泊まりしている。悟郎の問いかけに徹「神経質なんちゃうわ、毎晩そこで寝泊まりしとんじゃ」
→悟郎に心配されるが、5幕の独白で地震のトラウマによるものだと判明

・3幕は徹の悟郎への負の感情が爆発する場面。悟郎は全く思い当たるフシが無いから困惑。徹の内心が分からない悟郎は(自分がクズであることはさておき)徹のことを「親」として心配していて、トラウマができている徹とお互いにとことんズレていく
→しかしこの場面の段階で、よく考えたら徹が何に怒っているのかはよく分かる。その内情は5幕の独白で判明するが
徹「己に何が分かるんじゃ!俺の何が分かるんじゃ!」「いつかて口ばっかりで(→5幕)肝心な時はいつかて逃げ回っとるやないか」「おかんが死んだとき、あんたはどこにおった!あんときあんたは何しとった」→悟郎には悟郎なりの理由があるが、幼いまま傷ついてしまっている徹には勿論理解はできない
徹「この町に地震があったとき、親父が死んだときは…!」
地震があったときの悟郎の対応
悟郎「電話した」
徹「電話だけで終わりか」
悟郎「微々たるものだが金だって送った、渋谷で募金もした!できることはやったつもりだ」
→「助けてあげる(敢えて、「あげる」と言っておく)」側の言い分って現実もこんなものなのかも知れない、とふと思う。外から俯瞰で見ていると、そうじゃなくて、って思うけど実際自分が体験したらこれくらいのズレが生じるのかも…という点がリアルに感じる
徹「おのれが顔出したんは親父が死んでから、地震から2年も経ってからや!」
この台詞だけでも、「カラフト伯父さん」が徹のヒーローで自分のことを守ってくれると言ってくれた超越的な存在だったことを加味しなくても、恐ろしい経験をした徹にとってはただ会いに来てくれることが救いだったんじゃないか?ってこの段階で分かりそうな気もするんだけど、それは外から見ているからかも知れないな、と。
傍観者は「助かってるんだから良かったじゃないか」「生きてるなら良かった」と軽々しく思ってしまう。5幕で分かることだが、無惨な状況で人を見捨ててまで生き延びた者がその後苦しむっていうことまで想像できるかどうか、という考えが頭を過ぎった
・徹には彼女もいないし相談できる友達もいない(らしい)
・悟郎「恨んでいるのか?わたしのことを」に、うんと言えずに毛布にくるまってわなわな震える徹
→簡単に恨んでるとは言えない様子、5幕で吐露される、「何もかんもぐちゃくちゃになって」る気持ちなのかな。1人でも寂しくなんかあらへんと言う徹を見てると、冒頭で帰宅時にラジオつけてたり一人暮らしなのにバナナをカゴに入れて出し入れしたりしている徹が思い出される
・徹が怒りをぶちまけて去った後、投げ捨てられた毛布を抱きしめ酒を煽る悟郎。徹を心配する気持ちは本心からなのだろうが何故ここまで拒絶されているのかが分からないから悟郎の辛みも伝わってくる

第4幕

・徹/頭はタオル、アッシュグレーみたいな作業用ツナギ、手袋(作業中)、エプロン、黒靴(1幕の)、中に白Tシャツ着てる(6幕で見られる、胸元にDREAMと書いてあるもの)
・何日後かは不明だが、1日2日経ったほどなのだろうか(徹が給料を前借りしてくるから)
・仁美が味噌汁を作ってくれている。徹は作業台で何かを作っている→5幕で、仁美の為に名前を明朝体で透かし彫りしてある椅子だったと判明。2幕で妊婦の仁美がソファに座るのが大変だったり、階段上るのが大変だったりするのを見て作ったのだろうか、、などと考えると心根の優しい男の子なんだなと思う
・仁美のストリップの話(花電車やバナナ輪切りや金魚すくい碁石を股から出す話)にえっえっ、と戸惑う徹「ちょっと想像できないです」や「ちょっと理解が及ばないです」
→やはり徹はもしかして女性経験がないのではと。高3くらいで震災に遭って、その後おそらく大学には行かずに鉄工所で父親と共に働き、大変な人生を歩みつつひっそり暮らしていたんだったら有り得なくはない
・みんな大好き殿芸。乗っかる徹はノリもいいし本来は明るいキャラクターなのではと想像させる。関西で育ってるからノリがいいという妙なリアリティーもある
→5幕に出てくる仁美の椅子を明朝体で名前彫るのも、関西人ならではのユーモアなのだろうか?
・子どもの頃は列車に乗ってどこか遠くへ行きたかった仁美。過去に何があったのだろう
・徹「あの話はしたか?銀河鉄道の夜」と仁美に。聞いてないから教えろという仁美に、あいつの言うことなんかデタラメばっかりじゃ!嘘八百並べとるだけじゃ!とキレる徹。銀河鉄道の夜の話というのは、恐らく5幕に出てくる「おじさんは銀河鉄道が向かうサザンクロスのように徹をピカピカ照らしてあげる」というところと、6幕の「カンパネルラ!天上にはたどり着けたんか?」のくだりじゃないかな。人は死んだらどうなるの?という価値観は、徹にとっては悟郎が教えてくれた銀河鉄道の夜がベースにあるのではないか
・悟郎の話になると急にムキになる徹
・仁美に面倒見てくれるの?と言われるとエーーー、むりむりむり(小声)と全身で困惑を表現する徹。仁美「あんた結構顔と体に出るタイプね」徹の素直な様子が伺える
・徹のセリフで、震災で変わってしまった街の様子が分かる(前述参照)
・帰宅した悟郎、自己破産するかと悩む。店でもやるかと仁美と盛り上がるあたりお調子者の様子が伺える
→仁美と2人のシーン、徹との会話でも「おいしい話にほいほい飛びつく」「騙されやすいタイプ」と仁美。5幕で判明するが自分の子ではない子を宿す仁美を連れて逃げ回っていることを考えると、悟郎は情に流されやすいところがあるのは伺える。よく言えばお人好し。
その2人のやりとりを見て鬼の首をとったかのように笑い飛ばす徹。痛々しい
・悟郎に、徹が働きに出てるメッキ屋(佐藤のオヤジのとこ)で前借りしてきた給料を渡すシーン。「とっとと出てってくれ」。段々と照明もオレンジに、暗くなっていくのが切ない。これで東京に帰って自己破産できると喜ぶ仁美、沈痛な面持ちの悟郎は思うところがあるらしい
→それでも徹は椅子を作り続けるんだけど(溶接シーン)、5幕で仁美のお腹の子を気にして「アンタさえ良ければここにおったかて」と言う徹くん、仁美にはこのままここにいて欲しい気持ちがあったのだろうか。誰かと暮らす賑やかさや温かさに触れて思うところがあったのだろうか。ただの口説きシーンではなく、失った「家族」の姿を重ねていたのではないか

第5幕

・徹/頭タオル、ツナギ(4幕と同じ)、黒靴。エプロンを取った形
・どうやらその日の夜、というような設定らしい。悟郎が「今夜は〜」と言うので

・トラックの運転は正直、おたくへのサービスシーンだなと思ってる 笑。確かに運転シーンを目の前でナマで見られることなんて滅多に無いもの…
・ラジオをつけて(一青窈の「江戸ポルカ流れる。2003年の曲)、消し、辺りを見回す徹。二人が居た賑やかで短い生活を思い出しているのか。ふと我に返り、ラジオつけ直して音を大きくする
・仁美を引き止めるような言動
・椅子完成。みんな大好き椅子座らせ芸
・酔っ払う悟郎帰宅。「キスしておくれ〜」と徹を押し倒して逃げられる。このシーンは4月29日の2部からなくなって、徹が避けるだけになった
・徹のお金を使って飲んだことに唖然とする仁美、それが判明したときの徹の顔が個人的には一番見ていられない。絶望とも何とも言えない表情。「コイツはこういう男じゃ〜!」と笑い飛ばす徹
・しかし悟郎は仁美の分の切符だけ買って自分は神戸に残ると言う。息子の稼いだお金で人生やり直すなんてできない、と。→個人的には、それなのに飲んでくるのは良いのか?とか、大切な話をしているはずなのにここでまた料理酒を煽る悟郎に不信感ポイントです笑 そもそも酔っ払ってるし
・仁美、目の色が変わる。悟郎と一緒でなければ、と(そりゃそうだ)。
・仁美は「初めてのアコムで初めて会って」悟郎と知り合う。中絶しようと思って金を借りに行ったら悟郎とまた出会う。「お腹の子と仁美ちゃんは僕が一生面倒見るから」。アレ、嘘だったの?と泣き叫ぶ仁美。コミカルなシーンでもあるが悟郎のク⚫︎っぷりが露呈されてつらい
しかし悟郎は仁美には自分は必要ないという↓
・仁美のお腹の子の父親が悟郎ではないことを聞いた時に徹は少し反応する。知らなかったのか、やっぱりという感じなのか。お腹の子の父親と連絡とってる仁美(これは2幕で男と電話してる様子の仁美、あと、悟郎が過去回想をしてる時もチラチラ携帯を気にしている仁美の演技が挟まれている)

・仁美と悟郎痴話喧嘩→徹、怒る(そりゃそうだ)
・徹が心開くまでここから動かないという悟郎。千鶴子と約束もした、と。その名前に反応する徹
・悟郎の回想。自分が死ぬ前に悟郎に電話した千鶴子。千鶴子に恨まれていると思っていた悟郎、それは誤解だと知る「私、あなたといて幸せだった」「徹にも幸せ、分けてあげてね」「ほんとうのさひわひ、教えてあげてね」

・これを受けて、徹キレて暴れて悟郎に掴みかかる
→初日はここで頭に巻いていたタオルが取れてしまったんだけど、これは故意ではなかったようで残念。徹が感情を剥き出しにする様や震災の日のままの幼い心が露出したみたいだったなぁ、、
・母を亡くした幼い徹に悟郎が言い聞かせた言葉
「お母さんは死んだんじゃない、本当の幸いを探しに行った」「今はわからないかも知れないけど大きくなったらきっと分かる」
「銀河に輝く、無数の星の一つ一つ。道に咲く名もない花の一つ一つ。道に転がる石だって、みんな何かの役に立つ。今の悲しみも苦しみもきっと何かの役に立つ」「そしたらお母さんの本当の幸いがわかるはずだよ、きっとわかる」「本当の幸いが見つかるまで、おじさんは銀河鉄道が向かうサザンクロスみたいに、徹をピカピカ照らしてあげるよ。いつだって、いつだって徹を守ってみせるから」(大体こんな感じのセリフです)
→「それからぁ!」って何度も何度も言う徹は、悟郎の言葉を一つ一つ全部覚えてそれは呪縛のように徹の中にあったのかと思うと心が苦しくなる

「ほんとうのさひわひは、いつ来るんやカラフトおじさん」

徹の独白、たくさん聞いて何度も反芻した。この言葉にこの物語の全てが詰まってて、言葉にならない。(だいたいこれで合ってるはず…)

ほんたうのさひわひはいつ来るんやカラフト伯父さん
ガキの頃、あんたは俺のヒーローやった
何でも知っとぅ、優しい頭のええおじさん
苦しい時 悲しい時 いつかて駆けつけてくれる
おかんが死んで、地震があって、隣のアパートが潰れて、大学生の兄ちゃんが柱に膝挟まれて、必死で助けよう思たけど火の粉はどんどん降り始めて、兄ちゃんは「もうええから逃げてくれ」て、それからその向こうで9つくらいの男の子が和ダンスの下敷きになって、「おかあちゃーん!あついよー!」ってうめき声上げて、あっちでもこっちでもうめき声やら泣き声やらが上がって、火の手はどんどん大きなるばっかりで、「もう行け」「もう行け」「早よ逃げてくれ」「早よ逃げてくれ」ってあっちでもこっちでもそんな叫び声が上がって、火の手がそこまで迫って、炎に包まれる兄ちゃんや男の子を放ったらかして逃げるほかのうて、泣き叫ぶ声があっちでもこっちでも聞こえて、俺は振り返りもせんとどんどん走っていって、泣き叫ぶ声があっちでもこっちでも聞こえて、走って逃げながら「カラフト伯父さん、カラフト伯父さん助けてくださいわカラフト伯父さん、カラフト伯父さん、ほんたうのさひわひはどこですか、カラフト伯父さん、カラフト伯父さん来てください」呪文みたいにあんたの名前何遍も何遍も呼び続けて
仮設住宅でばーちゃんが死んで、復興住宅でじーちゃんが死んで、ローンの残っとぅ家も潰れて、またローン組んで、二重ローンで朝の6時から夜の12時まで働くしかなかった親父も死んで、次から次に悲しみが襲うてきて、次から次に苦しみが襲うてきて、夜になると、あの時の、地震の時の声がきこえてきて、「もう行け」「もう行け」「早よ逃げてくれ」「早よ逃げてくれ」、眠れんで、ちょっと揺れたりすると毛布にくるまって恐怖でガタガタ震えて、朝になるまで、あの時生き残った自分を責めて、あの時死んでもうたらよかった、俺が代わりに死んだらよかった、悲しみと、苦しさと、恐ろしさと、痛みと、何もかんもがぐちゃぐちゃになって、何もかんもが頭ん中ぐるぐる回って、眠れんで、息も、できんくらい、生きる、ことが辛うて、
そのたんびに俺は
「カラフトおじさーん、カラフトおじさーん、助けてくださーい、カラフトおじさーん、カラフトおじさーん、ほんたうのさひわひはどこですかー、カラフトおじさーん、カラフトおじさーん、来てください、カラフトおじさーん、カラフトおじさーん、助けに来てください、今すぐ来てください」
ずっとずっと叫び続けたんや
ずっとずっと、あんたが来てくれるのを待ち続けてたんや



・カラフト伯父さんは幼少期の徹のヒーローだった「苦しい時、辛い時、いつかて駆けつけてくれる」
→しかし、震災の時、助けようとした、柱に膝を挟まれた隣のアパートのお兄ちゃんや和ダンスの下敷きになった9つくらいの男の子などを見殺しにして(恐らく高3くらいだった徹にとって、大学生の兄ちゃんは身近な存在だったと思われる)、必死で火の粉から逃げ、余震に怯える徹の元に悟郎は現れない。呪文のようにその名を唱えても。
仮設住宅や復興住宅で祖母、祖父が亡くなって父親が亡くなっても現れない(父親が亡くなった時には現れたけど徹の中では相当拗れていた)。苛まれる度に自分が代わりに死ねば良かったと思うほどに自責の念に駆られていった徹
「悲しさと苦しさと恐ろしさと痛みと何もかんもがぐるぐる」「息もできんくらい生きることが辛うて」「俺が代わりに死ねば良かった」
→死んでしまった人たちは勿論可哀想なんだけど、生き残される側の人間の苦しみがリアルだな、と。個人的には自分が死ぬことよりも、大切な人たちみんなに死なれて自分だけが生きれる苦しみの方が怖いと思う
→自分が死ねばよかった、というぐちゃぐちゃな負の気持ちや地震のトラウマに怯えて車の中で毛布にくるまって寝ている様子(悟郎に「何でそんなところで寝ているのか」と問い詰められたりもする)と、それでも普通に生活をしていて、1人の寂しさを紛らわせるようにお茶目さを見せている部分と両方徹の中にあって、そこに人間のリアリティーがあるなぁ、と。どんなに辛くてもお腹は減る的な人間のリアリティと言うのか。例えが悪いか

・「カラフト伯父さーん、カラフト伯父さーん、助けてください」「呪文みたいにあんたの名前を呼び続けて」「あんたが来るのをずっと待ち続けてたんや」
・泣き崩れる徹
→カラフト伯父さんは徹にとっては信仰のようなものに近かったのかも知れない。母親が亡くなった時に母親のそばにいてあげなかったことにも恨みはあるけれど、直接の恨みはそこではないのかな、と。寧ろ、「本当のさひわひが見つかるまで、徹のことを照らしてあげる、守ってあげる」と言っていたカラフト伯父さんが、自分が絶望の淵に立っているときに駆け付けてくれなかったことが積もりに積もって雪だるま式に恨みの感情になったのか。自己否定、トラウマ、悟郎への恨みの境界線も分からなくなっていそう。何もかんもがぐちゃぐちゃになって

それを受けての悟郎のセリフ

「随分遅くなったけど、カラフト伯父さん、やっと登場致しました!随分ヨレヨレでクタクタで自己破産寸前のカラフト伯父さんですが、今夜、徹のためにやってきましたー!」

→個人的に、最初は、随分都合のいいことを言うオヤジだな!と思ったけど笑、何故自分のことを徹が毛嫌いするのか分からなかった悟郎が徹の心中を聞いて初めて「カラフト伯父さん」として徹に向かい合った、ということなのかなと思い直した。それまではただのダメ親父として隣にいたわけで。徹は、やっと「カラフト伯父さん」に再開できたのだ。

→気になったポイントとしては徹のセリフ「仮設住宅でばーちゃんが死んで、復興住宅でじーちゃんが死んで、二重ローンで朝の6時から夜の12時まで働いた親父が死んで」つまり、徹は元々は鉄工所に住んでなかったんだな、と。家は潰れてしまって、新しい家は手放したのかも?

→初日、悟郎に掴みかかって馬乗りになるとき(因みに、最初は馬乗りだったのだが、途中でトランクに押し付ける動きに変更になった。個人的には馬乗りの方が良かった)、何と、頭に巻いていたタオルが取れたのだ。厳密には後方で暴れている時に取れたのだが、もしかして演出なのかも?とその時の私は思ってしまった。次の公演からは無かったので事故だったことが発覚したのだが。
それほどまでにあのタオルの取れ方が素晴らしかったのだ。髪の毛がさらっと出てきて、一気に徹が幼くなって。徹の中の幼くて柔らかい心がカラフト伯父さんに救いを求め、絶望していく、取り残されたように幼いままの徹の心の表現のように見えたからだ。ただ、あまりにも可憐すぎたのは否めない

第6幕

・徹/ニット帽、チャコールグレーブルゾン、その中に淡い緑系(赤や青、白混じり)のチェックのパーカー、フード部分だけグレー、DREAMと書かれたTシャツ、ボトムは白系作業服の下、黒靴

・3人それぞれの旅立ち
・仁美、ストリッパー時代の十八番「赤いスイートピー」を歌うところから
・荷物を運び出す徹と悟郎。東京で自己破産の手続きを終えたら神戸に戻ってくるという悟郎に「また口だけなんやろ」と笑う徹が完全に憑き物が落ちたと言わんばかりの天使の笑顔。何故急にここまでと思うほど(これに関しては、数日後だと言われてもあまり理解ができない。人間ってそんなものなのかも知れない)
・2幕で登場する動物園の猿が運転する蒸気機関車の音
こんな寒い日に誰も乗らない、と会話する徹と仁美に悟郎「死んでいった人たちの霊が乗ってる」と
・車に積んでいた毛布を二階の階段の手すりに干す徹
「カンパネルラ!天井にたどりつけたんか!」返事をするような汽笛の音
→これは恐らく、震災で亡くなっていった人たちに向けた言葉なんだろう。車の中でくるまっていた毛布を干すということはもうこの毛布を使うことはない、前を向いて生きていくことの表現なのかな
・本当の幸いとは、との仁美の問いに悟郎は「私たちには本当の幸いは程遠い。お腹の子のそのまた子供、そのまた子供の子供くらいが、もしかすると見つける」と答える。生きるとは、苦しんだり悲しんだり人を羨んだり恨んだり、そういうものだ、と。
→個人的な解釈だと、この場面での本当の幸いは生きていることそのものでそれぞれが苦しみ模索しながら見つけていくもの、その過程そのものということなのかなと。そして、母・千鶴子にとっての「本当の幸い」は、この演劇の中だけで解釈するならば徹の存在そのものなのかな、と。徹が生まれ生きていくこと、命をつないでいき、人間が「本当の幸せ」をずっと探し続けていくこと、みたいな意味合いなのかな?と。だから「大人になったらお母さんの本当の幸せがきっと分かる」し、千鶴子は「あなた(悟郎)と出会えて幸せだった」のかな。
・雪が天井から降ってくる。徹「あの日のまんま。この鉄工所、屋根に亀裂が入るだけで済んだんや」周りには高層マンションが立ち並び復興が進む中でぽつんと取り残され、人の気配のしない街で生きている徹の姿と鉄工所の姿が重なる。徹も鉄工所も「あの日のまんま」だったのだ

・家族の再生の物語という言葉がぴったり当てはまる。修復ではなくて再生
・何故「カラフト伯父さん」なのかはまだあれこれ考え中なんだけど、千鶴子が悟郎の出版社のカラフト関連の本が=悟郎となってカラフト伯父さんと呼ばれていることは間違いないから、その理由が千鶴子の気まぐれか否かということを考えてみる。
→徹が悟郎のことを「カラフト伯父さん」と呼ぶようになったのが小学校に入学したくらいのことで、その頃にもし千鶴子が自分の死期を悟っていたとすると、死んだ妹とカラフトで交信をして繋がろうとした賢治のエピソードから、悟郎を通して自身との繋がりを感じて欲しいといったような願いみたいなものも込められてたのかな?と思ったりはする。それが「お母さんは死んでなんかいない」の言葉に繋がるような…
・「あの日、僕らは何を失ったんだろう」というキャッチフレーズへの問いは様々ありそうだよなぁ、と思いつつ。これまで書いたメモに答えがあるような気もしつつ後日感想に書けたら書きたいなと!徹くんはもしかしたらあの日、自身のヒーロー、神格化するしてその言葉が自分を縛り付けるほどの存在だったカラフト伯父さんを失ってしまったのかな。だからずっとずっと「あんたの名前」を呼び続けてたのかな…なんて