煎餅の記録

Hey!Say!JUMP多め

中島裕翔くん

「狭き門より入れ」って言葉が好きなんです(中島裕翔くん明星1万字インタビューより)


行列のできる法律相談所を観ました。
終わりの始まり。生々しくて美しい人間の軌跡を見ました。

この上なく暑苦しく偏った、マトモに読まないでください的な文章です笑。自分でも半笑いです。


個人的には、彼らがテレビでこの話をするのはまだ早いのではと思っていました。タイミング的に。
もっと大人になってから、もっと仲良くなって時間が経ってから、もっと売れてから話した方が色んな意味でいいんじゃないかって、勝手に思っていました(たとえばV6の坂本くんと剛くんの喧嘩の話なんて、20周年の今あらためて聞くとこんなに尊いものは無いと思える)。

しかし彼らはそれを表に出した。雪解けした瞬間にそれは雑誌などで語られ、もはやゴールデンの国民的番組でネタにできるような話になってます。取り敢えずは笑い飛ばせる過去に風化したのかな。
彼らの成長スピードは私が思っているよりずっと早いんだろうな。経験したことを消化する速度が速いから成長が速いのかな。そんなことを考えました。

Hey!Say!JUMPはゆとり世代の只のふわふわアイドルなんかでは無いんだ、とあらためて思います。


私が中島裕翔くんこと裕翔りんを認識したのは所謂お子様の時です。
当時はぬるっとしかジュニアを把握していなかったのですが、おじいちゃんがついにこんな小さい子どもを本気で推し始めたと低年齢化に怯えた記憶があります(子どもをぐっと推していた時期、ありましたね)。

売れる子というのはある日突然白羽の矢を立てられます(少しずつ実力をつけて前に出てくる子も勿論いるけど)。しかし、選ばれるべくして選ばれているのか、その子は必ず人気が出てしまう。
選ばれた方もある意味事故です。選ばれて急に人気が出て時には人に妬まれて。
それでもセンターに立つことは目指す場所の一つであり、宿命であり、それによって自我が形成されていくのだと思います。

自分がセンターだという意識(たとえ無意識だとしても)で生きてきた少年にとって、センター交代というのはどれほどの衝撃だったんだろう。それまでの自分だった中心軸を他の人に変えると宣言されたら。

何が一番キツいって、「あぁ、あの子交代させられたんだ」って周りに思われることかも知れない。見られることが仕事の彼らだから。
そして、「こっちをセンターにした方が良い」と判断されること。そしてそれがより良いと納得してしまうことがあったら。思いを馳せるととても辛いです。それでもアイドルは笑わなければいけない。それをしていたのは、十代の子どもでした。

中心軸に据えられた側…やっぱり選ばれた側にとっても事故のような出来事だったことでしょう。彼からすると、一方的に嫉妬をされて…もしされなくてもきっと気まずい出来事に違いなかったことでしょう。

この辺りは裕翔くん山田くんの明星1万字を読むと答え合わせのように色んなことが分かって苦しくなるけど実際の本人たちの葛藤は文字で読む以上のものがあったんだろうと思います。
山田くんの1万字インタビューの「僕はこうなることを目指してきたと思ってたのに、実際なってみたらちがうって、僕が思い描いてたグループって、こういうことじゃないって」という言葉を読んだ時にはとても胸を締め付けられました。

きっと、誰かが悪かった訳ではない…というか誰も悪くはなくて。グループをもっと高みに押し上げていくための戦略の一つでしか無かったのかも知れない。
今でこそ稀代のセンター・山田くんがその才能を開花させた時期がたまたま、Jr.の時期ではなくデビューした後のその時期だった。そしてそれは努力の天才、山田くんだからこそ為し得たことで。なのにお互いに努力していてもどちらも手放しで喜べない。こんなに苦しいことがあるのだろうかと。
しかしこの経験そのものがその後の2人を変えた。


ところで、私はグループというのはスポーツのチームみたいなものではないかと思っています。
例えば野球チーム。花形のポジションは多くの人が憧れ、注目されるでしょう。しかしそうではないポジションにもそれぞれベストな選手が割り当てられているし、そうでなければ成り立たないし勝てない。チームは全体で一つのチームとして機能している。

たとえ花形のポジションの選手のレベルが高くても他のポジションの選手のレベルが低かったら試合は負ける。誰が良いか悪いかでは無く、それぞれのポジションが違って全てが不可欠。それがチームなんだと思います。むしろポジョンがかぶっていない方が強い。

ジャニーズのグループもそういうバランスで人選されていると勝手に思っています。より良い形でデビューさせているはず、と(だからこそ脱退というのはとても大きな問題だと思っている)。

そして、本人たちがそう思ってチームとして同じ方向を見ている、見ようと努力しているグループは強いんじゃないかと。彼らがソロアーティストじゃなくてグループとしてチームを組んでデビューをしたことを肯定したいというか(重)。

その時その時、それぞれの成長スピードや段階によって選手のポジションが変わるように売り出され方や個人の比重が変わるし見え方も変わってくるかも知れない。それによって葛藤も生まれるし生まれてきただろうけど、チームを意識するときっとそこに良い意味での切磋琢磨が生まれる。
その中で得た経験がグループを大きくするための必要条件で、いつか全員が国の代表選手みたいな存在になってスーパーグループになるといいなという夢を見ています。ファンとして。

部外者から見たら誰が売れてるだの売れてないだのそういう風に見えるかも知れないけど、本人たちが自分のグループを大きくするために、欠けてはならない歯車としての自身を意識して働く。自分の歯車を大きくしている間に周りの歯車も大きくなる。ジャニーズのグループって社会の縮図じゃないですか…(大袈裟なのは語り厨の悪い癖)。

今の自分には何ができるのか。自分のポジションは何なのか、という究極の自分との対峙、そしてまっすぐな努力ができた裕翔くんだからこそ、今の中島裕翔を作り上げることができたのでしょう。何と早熟な男の子なのでしょう。そして何と清く正しく美しく人間くさい男の子。こんな子が存在するんだ地球には。

成人もしていない少年が自力でもがいてその領域にまで到達したこと。そしてそこからの自己実現の軌跡。自分のこと、周囲のこと、置かれている状況、できること、やらねばならないこと。負の感情と向き合い過去も丸ごと受け入れ前進すること。全てを悟るのが早かった彼の賢さこそ裕翔くんが選ばれし人間だということの証明だと思います。

そして今、稀代の天才二人がお互いがそれまでの負の感情を曝け出し、受け入れ、同じ地平に立っている。最高の好敵手であり、そしてまたそうであるために前を向き走り続けていること。これが奇跡ではなく何と言えば良いのかと震えています。天才というのは単に目立ったり華やかだったりするだけではなくその天賦の才能を伸ばす努力ができる才能を持っている人のことを言うのでしょう。

私がJUMPを応援し始めた時はそれこそゆとやまの2人は所謂氷河期と呼ばれる時期でした。
裕翔くん、とくん付けで呼ぶ山田くんがいた世界。しかしその時期、2人は表立って物凄く仲が悪かったわけではなくて
(私にはそう見えていた。壁があるなぁとは思ってたけど)。それはきっとどんなに啀み合ってもお互いをどうにか受け入れたい、認めたいという気持ちがあったんじゃないかなぁ、って。それが何とか仲良くしようとする態度に表れていたのかも知れない、なんて夢見がちですが 笑、そんなことを思います。

そんな2人の、テレビでも紹介されたエピソード「丸焼き事件」を目撃していたメンバーが、そんなシリアスな場面で笑いをこらえていたというのも、何とも愛おしいエピソードです。
誰も大人じゃなかった。誰も2人を上から諌めることは出来なかった。でも、それぞれの優しさや愛情を感じる可愛らしいエピソード。
人というのは相手が「受け入れられる」相手だから…ではなく、受け入れようと思うことできちんと正面から丸ごと受け入れられる。平和というものが何もしないで成立するのではなく、平和を作ろうとする強い意思により叶えられるものだということと同じで。
裕翔くんがそんなメンバーの愛情に気づいて今があるということも尊い。

こうして彼らが経験してきたものの全てが本当に眩しい。これがアイドルなんだな、と。アイドルは単なる表現ではなく、ドラマそのものを見せてくれる存在だと思っています。

そして、そういう自我の芽生えが裕翔くん、山田くんだけではなく全てのメンバーに起こり始めて変わり始めている今、まさにHey!Say!JUMPの羽化が始まっています。目が離せないです。誰か1人が頑張っているのではなく、全員がグループを牽引せんと奮闘しているように、見える。
山田くんが胸を張って自分はHey!Say!JUMPのセンターだと。周りのメンバーもそう誇れるようなグループが今のJUMPなのだなと感じます。そしてきっと、山田くんが思い描いていたグループ像にも近づいているんじゃないかな、って。

全力前進!Hey!Say!JUMP
JUMPing CARnivalツアーでのこの文字のこと、ずっと覚えていたい。
そして彼らがおじいちゃんになってJUMPでなくなる日が来ても、この文字のこと、この時期のことを忘れないでいて欲しいって一方的に願ってしまいます。

やっぱりまとまらないまま終わる 笑。